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討ち入り時に佩用か? 義士の脇差見つかる

 2009年10月22日 
原惣衛門が討ち入り時に佩用したとみられる刀剣。手前は浅野長矩からの知行宛行状
 赤穂義士の一人で大石内蔵助の右腕として知られる原惣右衛門元辰(もととき)が所用した脇差と家系図など古文書、計18点が明石市在住の子孫宅で見つかり、上仮屋の大石神社に奉納された。同神社では一部を近く一般公開する。
 見つかった脇差は刀身の長さ46・5センチで「二王」の銘が刻まれている。木製の鞘には「浅野内匠頭義臣原宗右衛門元辰所持之 死後自泉岳寺求得之也 河村周而軒 元禄十六年未十二月」と書かれ、収納箱のふたに「原惣右衛門元辰八代之孫 原元年書 昭和七年八月新調」との裏書きがある。
 同神社が子孫から聞いた話では、脇差は亡父の遺品を整理していたときに自宅のタンスから発見。その際、惣右衛門の祖父・定正から8代後までの家系図、主君の浅野長矩から惣右衛門に与えられた「知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)」などもいっしょに見つかった。今年6月に奉納され、同神社が鑑定と修復を進めてきた。
 知行宛行状は、父・長友の遺領を継いだ長矩が内匠頭に任官される前の延宝3年(1675)に書かれたもので、長矩が当時使用していた「又市郎」の名で署名。当時9歳だった主君の代わりに文官が代筆したものと思われ、長矩が花押の代わりに使った「柱」の文字の丸印が押されている。また、惣右衛門の名が「宗右衛門」となっている。
 発見された古文書には、親類書や泉岳寺に納めた供養料の領収証なども含まれていた。同神社の飯尾義明宮司は「いずれも原家に代々伝わった遺品とみて間違いない。鞘書きの文面から、脇差は討ち入り時に惣右衛門が佩用していたものといえる」と話している。
 一般公開は同神社宝物殿で11月16日(月)から。拝観料420円(中学生以下無料)。Tel42・2054。
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掲載紙面(PDF):
2009年10月31日(1868号) 1面 (8,719,596byte)
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