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田淵家の古駕籠、解体修理の納屋で見つかる

2008年05月24日

  • 田淵家の納屋から見つかった駕籠

    田淵家の納屋から見つかった駕籠

  • 花鳥図が描かれるなど美麗を凝らした内装

    花鳥図が描かれるなど美麗を凝らした内装

  • 屋根瓦を全面葺き替えるなど改修した田淵庭園の納屋。駕籠は元の納屋から見つかった

    屋根瓦を全面葺き替えるなど改修した田淵庭園の納屋。駕籠は元の納屋から見つかった

 国名勝に指定されている御崎の田淵家庭園の納屋から、江戸後期から明治初期のものとみられる駕籠1挺が見つかった。駕籠は当時、武士または裕福な町民しか所有できず、現代でいえば運転手付きの高級乗用車。塩田地主として栄えた同家の暮らしぶりをうかがわせる遺物として注目される。
 発見された駕籠は高さ107センチ、幅80センチで長さ113・5センチ。四方に板や網代を張り、乗降口が垂れではなく引き戸の型式は「あんだ」(江戸では「あんぽつ」)と呼ばれ、町人用では「法仙寺駕籠」に次いで格式が高い。
 製作・使用年代は不明だが、江戸幕府は質素な「四手駕籠」以外の使用を町人に許していなかったため、制限が有名無実化した幕末期以降の製作と推定される。
 内部のひじ掛けと背もたれは当時では珍しいビロード布を使用。前左右の三方にある二重仕掛けの小窓内側は色鮮やかな花鳥図が彩り、前方には折りたたみ小机、戸に庭園の絵を描いた天袋をしつらえた美麗を凝らした造りになっている。
 駕籠は今年2月、納屋の解体修理に伴う所蔵品整理で存在が判明した。
 天井の梁に吊り下げられていた木箱を開けると、同家の家紋「角に梅鉢」を染め抜いた紺麻で覆った駕籠が現れ、雨天時に使う合羽簾などを納めた墨書木箱も発見。担ぐための長柄は見つからなかった。
 専門家によると、駕籠に華やかな装飾が施されているのは女性用―との見方があるが、同家では梅鉢紋は男性の持ち物にしか入れない習わしで、当主が外出する際に利用した可能性もある。
 「納屋に木箱があるのは知っていたが、中身は父からも聞いたことがなかった」と同家14代当主の田淵新太良さん(72)。
 直射日光を浴びずに適度な通気性があったことが幸いし、内装に加えて飾り金具を施した黒漆塗りの屋根も良好な保存状態。田淵さんは「先祖が残してくれたものなので大切にしたい」と市に寄贈する意向だ。
 赤穂市内で同様の駕籠が現存して見つかった前例はなく、市教委は「これまでに同家から寄贈された美術工芸品類と同じく、田淵記念館で永く保存公開していきたい」としている。
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国名勝の田淵庭園、老朽化の納屋など保存修理
 貴重な文化財を後世に残そうと、保存整備が進められている国名勝・田淵庭園で納屋などの改修工事がこのほど完了。往時の姿がよみがえった。
 改修されたのは、庭園の北側部分にある木造平屋建て納屋。幕末の作とみられる絵図面に「薪小屋」として描かれていることと、腰板の下地土壁に刻まれていた文字から、江戸後期までの創建で明治45年に建て替えたとみられる。
 近年、シロアリ被害で屋根の一部が抜け落ち、崩壊の恐れもあることから国などの補助で昨年2月から改修に着手した。
 屋根を解体して傷んだ梁を交換。瓦はすべて葺き替えたが、田淵氏庭園整備委員会(委員長・西桂兵庫大講師)の指導で腰板など使える部分は再利用し、元の風合いをできるだけ残した。
 納屋の西側にある母屋と土蔵=いずれも2階建て、昭和5年築=も樋、格子などを補修。平成18年度に解体修理した明遠楼の裏にある石垣は写真測量を行い、今後の保存活動に活用する竣工図を作成した。事業費は約1000万円。
 同庭園は、塩田地主として栄えた田淵家当主が江戸中期に3代かけて造営した日本庭園。三崎山の傾斜地に茶室、書院、池が絶妙のバランスで配され、昭和62年に国名勝指定。平成18年に居住区も追加指定され、約4400平方メートルある敷地すべてが国名勝になっている。
 市教委は「赤穂城の庭園と並ぶ貴重な文化財。名に恥じないように保存に努めたい」としている。
 同庭園の次回一般公開は11月22日(土)・23日(日)に予定されている。


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