2026年04月11日
今年の入学式の式辞で私がいちばん伝えたかったことは「自分がしてほしくないことは、他人にもしない」ということでした。
大学生活だけでなく、卒業して社会に出てからもいちばん大切にしなければならないことは、何か。「論語」のなかには、その答えとして「恕」と書かれています。原文は「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」です。この一文字の「恕」(ジョ、ごとく)がなかなか守れないのが私たちです。だからいじめや、ハラスメントが起こるのです。
どうすれば守れるようになるのでしょうか。効果的な方法の一つは、メタ認知能力を身に付けることです。自分らしくない言動をしそうになったとき、ストップをかけるもう一人の自分を常に横に置いておくことです。
怒りに任せて拳を振り上げたとき、「これをやったらいやな人になってしまうな」「恐い人だと思われるだろうな」「私はもともと穏やかな人のはずだ」。こう感じるもう一人の自分が誰の心にもあるはずです。
このような本来の自分を呼び起こして、常に自分の横に置いておくこと。そしてその声に耳を傾け、すかさず言動を修正すること、これがメタ認知です。
かっとなって自分らしくない言動を行い、時間がたって冷静になって反省することが多いのが常ですが、このときに遅ればせながら、もう一人の自分からのメタ認知を行っているわけです。自分らしくない意地悪しそうになったとき、本来の自分を見失いそうになったとき、すかさずもう一人の自分を働かせることができるようになればいいのです。
坐禅の「坐」という字は、坐禅をしている姿である「土」に、今の自分と本来の自分の二人の「人」が対話をしている姿を表しています。この2人の対話によって、モニタリングしながらコントロールしていく方法を身に付けるのがメタ認知能力です。
この「恕」を、自分の言動を律するものだけでなく、相手に対する積極的な行為としてとらえ直すと「自分のしてほしいことを、他人にする」になります。自分を律するための「恕」だけでなく、まわりの人の笑顔のための「恕」ができるようになる方法は、あたたかい心を暖かい行為にして、やさしい心をやさしい心づかいにして相手に伝えることです。心は見えないけれど、心づかいは見えます。思いは見えないけれど、思いやりは見えます。
この「恕」を、院是としているのが赤穂市民病院です。2階の受付に掲げられた「恕」の一字に「思いやり」と添えてあります。「自分のしてほしい世話を、患者さんにもする」という病院関係者の願いと思いを表したものです。その「恕・おもいやり」の横に、マザー・テレサの肖像画が掲げられています。
「なぜ全身にウジ虫のわく乞食を抱きかかえて、世話をするのですか」とたずねられたマザーは、「あの人達は乞食ではありません。イエス・キリストです」と答えました。イエス・キリストの「恕く」(ごとく)世話をする。孔子の「恕」と、マザーの「恕」は、「思いやり」で一致するのです。(関西福祉大学学長・加藤明)
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次回は教育学部保健教育学科講師の萩原大河先生です。お楽しみに。

[ かしこい子育て ]
掲載紙面(PDF):
2026年4月11日号(2640号)2面 (4,661,519byte)
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