2026年02月07日
私が「障害のある人と芸術をつなげたい」と考えるようになったのは、身近な人が芸術によって大きく変わる姿を見たことがきっかけでした。その思いから、大学では芸術を学び、大学院、修士課程へと進みながら、障害者と芸術の関わりについて考え続けてきました。
学びを「研究」で終わらせず、実際の現場で生かしたい。そう思い、ふるさとにある障害者事業所で、ブレスレットづくりの活動を提案しました。管理者の方は快く受け入れてくださり、いよいよ実践が始まりました。
ところが、最初は思うようにいきませんでした。細かな作業が多いブレスレットづくりは、身体に障害のある方にとって負担が大きく、「難しい」「できない」という声もありました。私自身も、「本当にこの活動は意味があるのだろうか」と悩みました。
そこで考え方を変えました。「作品を完成させること」よりも、「どうすれば関われるか」を大切にすることにしたのです。パーツを大きくしたり、工程を分けたり、スタッフが一緒に手を動かしたりしながら、少しずつ方法を工夫していきました。
すると、次第に参加する人の表情が変わっていきました。「この色がいい」「こう並べたい」と、自分の感覚を言葉や行動で示すようになったのです。作品は一つひとつ個性を持ち、同じものは二つとありませんでした。
あれから十年以上が経ち、その事業所は地域でも知られる存在になりました。専門店を持つまでに成長し、地方で報道されることもあります。そこから、さまざまな障害者アーティストが生まれ、今もブレスレットやネックレス、指輪などを制作しています。
芸術には、人を癒やす力があります。そして同時に、働くことや社会とつながる新しい道をつくる力もあります。現場での試行錯誤を通して、私はその可能性を確信するようになりました。(社会福祉学部社会福祉学科助教・餅原秀希)

[ かしこい子育て ]
掲載紙面(PDF):
2026年2月7日号(2631号)2面 (7,323,589byte)
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