赤穂民報

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元禄時代の山境争論「判決文」

2009年03月12日

  • 歴史博物館で14日から公開される元禄時代の「争論絵図」。棒で指し示している線が裁定された境界

    歴史博物館で14日から公開される元禄時代の「争論絵図」。棒で指し示している線が裁定された境界

 元禄時代に赤穂、龍野両藩の農民間で起こった山境争論に対する奉行所の判断を示した裁許状を赤穂市教委が入手。14日から始まる一般公開に先立ち、このほど報道発表された。今で言えば民事訴訟の判決文で、市教委は「当時の農民にとって、山は薪や食料を得る大切な場所。その入会権が重要だったことを示す貴重な資料」と話している。
 赤穂市史によると、赤穂藩は元禄10年に宍粟、佐用、赤穂3郡の国絵図、郷帳作成の幕命を受けた。その調査過程で、光明山付近(現在の相生市)の郡境について、赤穂郡と隣接する龍野藩揖西郡の農民双方の主張に食い違いがあることが判明。同12年3月に赤穂14カ村が揖西15カ村を相手取って京都町奉行所へ提訴し、検使の調べで赤穂郡側の主張を認める裁定が9カ月後に下された。
 市教委が入手したのは、その裁定内容を絵図と文で示したもので、厚手の美濃紙28枚を貼り合わせた縦208センチ、横147・5センチ。両群一帯を山、池、海、道、田畑を色分けした彩色絵図で表し、肝心の境界は太い黒線を引いている。裁許文はもう一方の面に書かれ、「双方立会可草刈」として、争論の舞台となったエリアに揖西郡民が境界を越えて立ち入ることを認めている。
 境界の要所には、裁定を下した町奉行印の位置を示す付せん。また、裁許文にも捺印がないことから、奉行所が作った原本を写した控えとみられる。虫食いも少なく保存状態は良好で、市教委が今年2月、大阪府内の古美術商から購入した。
 赤穂郡側の“勝訴”となった内容は元禄15年に完成した国絵図に反映された。争いの舞台となった箇所は、ほぼそのまま現在の相生市とたつの市の境界となっている。
 市教委によると、同様の史料は相生市が所蔵しているほか、赤穂市内の旧家にも残っているといい、「それらとの比較検証ができれば、新たな発見があるかもしれない」と話している。
 公開展示は3月14日(土)から4月13日(月)まで上仮屋の市立歴史博物館で行われる。午前9時半〜午後5時。火曜休館。入館料は高校生以上200円、小中学生100円。Tel43・4600


文化・歴史 ]

掲載紙面(PDF):

2009年3月14日(1839号)3面 (8,617,094byte)


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