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赤穂の昔話・第22話「弁慶のとめ岩」

2020年11月21日

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 仲のよい数人が、手に手に道具をもち、薪とりに、清水谷を通り、丸山の方に行きました。
 天気も良いことだし、何の心配もなく、大声で話しながら、薪を束ねていました。
 すると、突然大きい音がしました。アッと山の上を見ると、木を倒しながら、大きい岩がころげ落ちてきているのです。
 「アッ!あぶない。岩がおってきようぞ」
 「おじい、はよう逃げ。はよう逃げんか」
 少し耳の遠い長助は知らん顔をして、薪をそろえているのです。
 それは、アッという間のできごとで、逃げることもできず、目の前に岩が落ちてきています。
 「あーあ、もうあかん」
と、両手を合わせ、目をつぶっていました。
 岩は落ちてきません。恐る恐る、一人、また一人と目をあけました。
 すると一人の侍が、片方の「すね」と「両手」で、大きい岩をとめていました。
 驚いたのは村の人で、「こりゃあ、人の技ではない。お陰で助けてもろた」と、何度も何度も礼をのべました。
 「いや、いや、これしきのこと。なんでもないことです」
と、岩から離れて、さっさと、西の方に向かって行ってしまいました。
 岩を見ると、「すね」と「両手」のあとがついておりました。
 これは普通の人ではない。村でも大さわぎになりました。四国へ修業のため、尾崎の山道をちょうど越えていた弁慶であったことが、あとでわかりました。
 いつの頃からか、その岩を、「弁慶のとめ岩」というようになり、今でも、大きい岩が、そのまま残っています。(赤穂市教育委員会刊『赤穂の昔話 第二集』・「弁慶のとめ岩」より)=切り絵・村杉創夢
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 「尾崎」の地名が誤植により、「尼崎」になっていたのを訂正しました。確認不足でした。(2020年11月21日19時40分)


赤穂の昔話 ]

掲載紙面(PDF):

2020年11月21日号(2393号)2面 (9,473,567byte)


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