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【語り継ぐ戦争】滑空機の訓練(中)

2016年07月02日

◆砂本秀義さん(85)=東京都大田区
 まず、4級上の富田先輩が模範を見せてくれることになった。教官の「引け」の号令で私たちはゴム索を「イチニー、イチニー」と引き始めた。一歩一歩、歩数を数えながら引いた。段々と重く感じ、脚がほとんど前に出なくなった。というより引き戻されそうな抵抗を感じ始めたとき、教官が「放せ」と号令した。
 機体はスルー、スルーと短い地上滑空からさっと浮かび、3メートル、6メートル、8メートル、10メートルと上昇した。空中滑走に移ったとき、操縦席の先輩は地上の私たちに向けて、にっこり笑って片手を振った。それは本当に恰好よかった。少年飛行兵や予科練を夢見ていた私にとっては実にすばらしいの一語に尽きる強烈な印象だった。
 私たちは順番にグライダーに乗ることになった。尾下教官は座席に座り、「操縦桿を引けば上がる、押すと下りる」と言いながら補助翼の動きを示した。座席はベニヤ板で丸みがついていた。次は踏棒(ペダル)を左右に動かして尾翼の補助翼の左右の動きを示した。
 「乗ったら背中を後ろの柱にぴたりと当てる。操縦桿は軽く握り、ペダルに足をそっとのせる。引けの合図があったら前方を見て気持ちを落ち着ける。放せの合図があったとき、操縦桿を引かないように注意せよ」
 その後、富田先輩が「背骨を柱にぴったり押し当て、機体の上昇、下降、左右への旋回などは背筋で敏感に察知して操縦するんだよ」と教えてくれた。
 出席番号の順番で乗り始める。1番目のA君が乗った。私たちは「イチニー、イチニー」と引き始めた。20歩くらい引いたとき、「放せ」の号令がかかった。機体はスルーと地上滑走し、地面の出っ張りに当たると一瞬30センチほど浮いて間もなく止まった。その距離は20メートル余りだった。
 教官が「よし。次の者と交替せよ」と言った。順番に数人が乗り、ついに私に順番が回ってきた。(つづく)
 * * *
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関連サイト:

【語り継ぐ戦争】滑空機の訓練(上)

掲載紙面(PDF):

2016年7月2日(2191号)3面 (14,341,589byte)


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