忠臣蔵のふるさと・播州赤穂の地域紙「赤穂民報」のニュースサイト
文字の大きさ

赤穂民報


  1. トップページ
  2. 赤穂の昔話
  3. 記事詳細

赤穂の昔話・第5話「赤穂城の石舟」

 2019年08月03日 
 
 今から300年以上前のことです。新しい赤穂の城主として、森長直が備中(岡山県)の西江原から、2万石の大名として移ってきました。
 森家は、もと備中津山18万6500石の大名でした。赤穂城は、姫路を治める池田家の一族である池田政綱・輝興が造り、そののち浅野長直が拡大して整備したお城です。
 赤穂城に入った森長直は、庭園の池のなかに、舟型の石でできた置物をすえつけさせました。庭園に石舟をすえつけおわると、長直はそっと手を合わせました。心のなかで、ある話を思い出していたのです。
 戦国時代のことです。柳生新左衛門という武士がいました。新左衛門は剣で身をたてようと決心し、剣聖といわれた上泉伊勢守信綱の教えを受けました。しかし、新左衛門の腕前は、なかなか上達しません。でも、新左衛門は来る日も来る日も稽古を続け、技を磨きました。
 これを見た信綱は、
 浮かまさる 兵法ゆえに石舟の くちぬ浮き名や すえに残さむ
 の一首を与え、上達のあかつきには新左衛門に一国一人(一つの国に一名しか免許を与えないこと)の新陰流を相伝しようと約束しました。新左衛門は腕を磨いて、のちには柳生新陰流を生み出し、名を石舟斎と改め、将軍の剣術指南役を務めるまでになりました。
 森長直は、この話を思い出し、新しく入った赤穂城の庭園に石を組み、石舟を置いたのでした。いつの日にか、18万石への復活を夢みて、その時期を待ったといいます。(赤穂市教育委員会刊『赤穂の昔話 第一集』・「赤穂城の石舟」より)=切り絵・村杉創夢
<前の記事


掲載紙面(PDF):
2019年8月3日号(2335号) 3面 (10,993,275byte)
 (PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)


コメントを書く

お名前 (必須。ペンネーム可):

メールアドレス (任意入力 表示されません):

内容 (必須入力):

※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。
投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。
今週のイベント・催し
23
(月)
 
24
(火)
25
(水)
26
(木)
27
(金)
 
28
(土)
 
29
(日)

最新のコメント

  • 周世最終処分場の「閉鎖」市が撤回←お年寄り(03/27)
  • 戦後七十年・語り継ぐ(6)〜長崎で九死に一生←宮澤 貫(03/25)
  • 周世最終処分場の「閉鎖」市が撤回←(03/24)

各種お申込み

以下より各お申込み、資料請求フォームにリンクしています。ご活用下さい。

メール会員登録

赤穂民報のニュース(一部)をリアルタイムでお届けします。

e-mail(半角入力)

携帯でドメイン指定受信をされている方は「@QRmail.jp」を指定してください。

スマホサイトQRコード

スマホ用URLをメールでお知らせ!
e-mail(半角入力)


ドメイン指定受信をされている方は「@ako-minpo.jp」を指定してください。

閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警
閉じる
中村唯心堂 中道工務店 矢野防水工業 赤穂メモリアルホール 野中砂子土地区画整理組合 花岳寺 兵庫県警