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義士・大高源五の自筆俳句を寄贈

2014年12月30日

  • 赤穂義士・大高源五の自筆短冊を表装した掛け軸を寄贈した米澤晴實さん(左)

    赤穂義士・大高源五の自筆短冊を表装した掛け軸を寄贈した米澤晴實さん(左)

 「子葉」の雅号で俳諧にも秀でた赤穂義士、大高源五(1672−1703)の自筆短冊を表装した掛け軸が義士ゆかりの花岳寺にこのほど寄贈された。「争ひし水も落して田かりかな」。秋の収穫の情景をうたったとみられる句で流麗な筆跡に文人としての素養が感じられる。
 寄贈者は川西市清和台東の米澤晴實(はるみ)さん(70)。鳥取県伯耆町の生家で亡父・武雄さんが大切に保管していた一本だという。今から45年ほど前、和光純薬工業の赤穂工場に勤務していた米澤さんが同寺に持参し、義士研究家でもあった23世住職の伯仙和尚が真筆と鑑定した。
 大高源五は江戸俳壇の中心的人物だった水間沾徳(みずま・せんとく、1662−1726)の門人。神崎与五郎(竹平)、萱野三平(涓泉)と並んで浅野家中きっての俳人として知られ、主君の浅野長矩に従って江戸から赤穂へ帰るまでを記した紀行誌『丁丑紀行』、討ち入りの3カ月前に刊行した俳諧撰集『二ツの竹』に作品を残している。「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」と辞世を詠んで切腹した。
 花岳寺境内には、「赤穂義士中では、大石内蔵助についで、大高源五を最も尊敬している」とした伯仙和尚の代に建立された源五の句碑(こほるゝをゆるさせ給へ萩の露)がある。「こちらに寄贈したことを墓前に報告すれば、亡くなった父もきっと喜ぶはず」と米澤さん。片山一良住職(72)は「大切に保管し、展示公開も検討したい」と話している。


文化・歴史 ]

掲載紙面(PDF):

2015年1月1日・第2部(2118号)3面 (10,626,594byte)


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