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忠臣蔵新聞の有政さん、惜しまれる急逝

2011年08月27日

  • 惜しまれつつ急逝した赤穂事件研究家、有政一昭さん

    惜しまれつつ急逝した赤穂事件研究家、有政一昭さん

 ウェブ版「忠臣蔵新聞」を発行するなど赤穂事件研究家として知られた相生市山手の元社会科教諭、有政一昭さんが7月29日に亡くなった。69歳だった。
 有政さんは有年生まれ。大学時代に読んだ松島栄一著「忠臣蔵」に感銘を受け、赤穂事件に関する史料収集を始めた。赤穂高に勤務していた平成8年、得意のパソコン技能を活かして研究成果を自作サイトで公開。その2年後に創刊した月刊の「忠臣蔵新聞」は平成21年12月で300号に達した。
 全国に点在する関連史跡を踏査し、確かな史料のみを根拠とする考証姿勢は学者顔負け。高度な研究内容を初心者にもわかりやすい言葉で伝え、テレビ局や出版社などから監修、意見を求められることも多かった。
 「自分の経験を地域のために役立てたい」と相生市公式サイトの歴史コーナー執筆、公民館でのホームページ教室講師など活動は多岐にわたった。今春からは相生高校の外部講師として再び教壇に立つ予定だったが、今年4月、山での史跡調査からの帰りに転落して頸椎を損傷。けがが回復して退院の目途が立った矢先、細菌感染による敗血症で亡くなった。
 「僕にはせなあかんことがまだまだあるんや、と一生懸命リハビリを頑張っていました。さぞ、無念だったと思います」と妻の智子さん。今まで触ったことがなかった一昭さんのパソコンを開くと、これまでに集めた膨大な量のデーターが整然と分類されていたという。
 「几帳面な人でした。ホームページを読み返すと、夫の考え方や思いがそのまま表れていて…。これは主人そのものだと感じました」
 一昭さんのアドレスには今なお全国の義士ファンから質問や問い合わせのメールが毎日届く。智子さんは今後もホームページを閉鎖せず、できる範囲で更新を続けるつもりだ。「一人でも多くの人に忠臣蔵に興味をもってほしい」という有政さんの思いはこれからも発信され続けていく。


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コメント

亡くなられて残念でなりません。
ホームページの記載について疑問に思う点があり、変更いただけないかと思っていましたが、どうすれば対処してもらえるのでしょう。

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投稿:やほ 2014年10月03日


2001年古文書で読み解く忠臣蔵刊行時に有政さんと親しくなりました。今日訃報に接し驚いています。実は忠臣蔵新聞?に江戸期の本「視薬霞報条」(みるがくすりかすみのほうじょう)が出ていたので、この本につきコピー入手出来ないかとメールするつもりでした。この本について応対できる方に取り次ぎをお願いしたく存じます。

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投稿:吉田 豊 2014年07月13日


今日の神戸新聞朝刊で、有政智子さんが一昭さんのご意志を継がれて、忠臣蔵のホームページ完成に向けて頑張って居られると知りました。
私は82歳という高齢ではありますが、お手伝いが出来ないかと思って居ます。
私の趣味のホームページは http://hotroom.jp/ です。
メールでも頂ければと願って居ます。

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投稿:前沢 功 2013年07月12日


 本当に残念です。かかる有為の人材が急逝されるとは。
 有政さんのやってこられたお仕事は赤穂事件研究の上でも大変評価すべきことだと思います。
 また、このことを採り上げて下さった赤穂民報さんに謝意を表します。
 謹んでご冥福をお祈り致します。

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投稿:くらのすけ 2011年08月28日


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