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コラム【陣太鼓】幻に終わった「鹿久居島原発」計画

2011年05月28日

 ▼今から約40年前、日生町に原子力発電所を建設する計画があったことをご存知だろうか。計画が発表されたのは昭和42年ごろ。中国電力が鹿久居島での原発建設計画を公表し、国が地質調査を許可する方針を表明した
 ▼日生町漁協、頭島漁協が猛反対。5000筆を超える署名を携えて県と国への陳情を重ねた。国は調査許可の方針を事実上撤回。岡山県議会は47年3月、「瀬戸内海での原子力発電所建設に反対」の意見書を議員提案で採択し、計画は立ち消えた
 ▼計画をめぐっては、本紙が当時の社説で「百害あって一利なしの鹿久居島原発」と書くなど、赤穂市でも反対運動があった。「公害をなくする赤穂市民の会」(島田繁会長)は、「アメリカから輸入しようとしている大型軽水炉の安全性には多くの疑問がある」「大規模な事故が起きた場合、影響の及ぶ範囲は広い」「漁民から漁場を奪い、瀬戸内海を汚染する」などとする反対要望書を岡山県議会へ提出している
 ▼福島第一原発の事故は当時の指摘が的を射ていたことを証明した。原発が「電力の安定供給」を“錦の御旗”に国策として進められてきたことを思うと、「近くになくてよかった」と済ませることはできない。


コラム「陣太鼓」 ]

掲載紙面(PDF):

2011年5月28日(1945号)1面 (9,644,341byte)


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コメント

もし鹿久居島に原発があれば、日生は原発で儲かってたと思う。原発があってもよかったと思う。
原発で働けるし。

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投稿:そうご 2018年11月15日


50年ほど前、関西電力も御津町に計画してました。

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投稿:兵庫でも 2011年07月25日


この内容を知るまで、鹿久居島でそのような計画があったことは知りませんでした。
この記事がなければ、現実身がなかったかと思います。
何億という色々な交付金を断り、先人の方々が断っていただけたお陰で今があるのかもしれませんね。

地震が少ないと言われる瀬戸内海ですが事故が起きる、起きないにかかわらず、
原発自体が無くては「電気」がままならない現状もあるのも判ります。

私的に、実質、原発から遠いから実感が無い。と思い、生活していた部分もありました。

先人の人に恥じないように節電を心がけて生活を営んでいきたいと思います。

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投稿:知りませんでした。 2011年07月25日


日生町の出身。関東地区在住。日生の原発の話が何年前だったか、記憶が曖昧でしたので、いろいろ調べているうちに貴社の記事に出くわしました。 当時、毎日が大騒ぎで、大変でした。結果的に、先人たちは賢明な選択をしたと思います。一方、福島ですが、大変です。、(考えたくはありませんが)原発周辺の何十キロ内になるかは判りませんが、恐らく、数十年単位で、人の住めない地区になってしまうでしょうか? 皮肉な事に、福島第一原発近くに故郷のある方は、身近に何人もいますし、南相馬、郡山、知り合いも多いです。そういうわけで、相当に切実ですが、事故の直接の被害が及ばない方々にとっては、「近くになくてよかった」で済まされるようで、そして、「原発は必要、すぐ再開せよ」となるようで、わが身の事とは考えられないのでは・・・。福島第一原発近くを通るたび、どうか何もないようにと祈っていましたが、起きてしまいました。

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投稿:こーねんさん 2011年07月21日


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