赤穂民報

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自宅での生活再建目指し福島へ

2011年04月28日

 震災後、親戚を頼って赤穂に避難していた福島県の男性が約40日ぶりに実家へ戻ることを決意。「親切にしてくださった赤穂のみなさんへ感謝の気持ちを伝えたい」と帰宅前に本紙事務所を訪れた。
 いわき市佐糠町の元会社員、杉本眞士さん(73)。3月11日、自宅で見ていたテレビ画面に緊急地震速報が表示された直後、「ドーン」という衝撃と激しい揺れに襲われた。妻とともに近くの学校へ避難。海岸から約700メートルの自宅はその後の津波で床下浸水した。
 避難所は被災者であふれ、一旦外へ出ると戻るスペースがなくなった。親戚がインターネットで15日と16日に1席ずつ福島―伊丹の航空券を確保してくれ、夫婦別々に関西へ。17日に赤穂の親戚宅へ身を寄せた。
 幼少期から高校卒業まで赤穂で過ごした杉本さん。今月11日にはちょうど赤穂西中学校の同窓会が市内で開かれ、旧友たちから励まされた。東京に避難した息子家族へ送るための水を求めに行ったスーパーでは、品切れで買いそびれた杉本さんに見知らぬ女性が「困っているときはお互い様」とペットボトル2本を譲ってくれるなど、「赤穂のみなさんの親切が本当にありがたかった」と話す。
 杉本さんにとって、赤穂でもう一つ大きな出来事があった。視力の衰えを感じて受診した眼科で重度の白内障が判明。両目を手術した結果、視力が1・2まで回復したのだ。
 杉本さんは27日に赤穂を離れ、伊丹から空路福島へ戻った。自宅から数百メートルしか離れていない隣町は津波で壊滅状態となり、家の周りには流されついた車が今も5〜6台残る。大切にしていた備前焼のコレクションは棚から落ちて割れていた。しかし、自宅は耐震建築のおかげで再び住むことができそうだという。
 「いつか元の暮らしを取り戻せることを信じて、前向きに生きていきたい。元気をくれた赤穂のみなさん、本当にありがとう」


社会 ]

掲載紙面(PDF):

2011年4月29日(1942号)4面 (15,179,884byte)


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