赤穂民報

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元市議会議長、植木啓治さん逝去

2010年08月30日

  • 武川寿輔・初代校長を敬愛してやまなかった植木さんは赤穂高正門内に建つ胸像を訪ねることが多かった。左奥のマツは校舎移転時に自宅庭から移植したもの

    武川寿輔・初代校長を敬愛してやまなかった植木さんは赤穂高正門内に建つ胸像を訪ねることが多かった。左奥のマツは校舎移転時に自宅庭から移植したもの

 元赤穂市議会議長で市政特別功労者の植木啓治さんが8月28日午前2時35分、肺炎のため市内の病院で亡くなった。90歳だった。
 旧制赤穂中の第8期生。阪神飛行学校でパイロットとしての技能を身につけ、戦時中は逓信省航空局の乗員養成所で教官を務めた。国鉄職員などを経て、27歳で赤穂町議に初当選。市議と合わせて計10期務めた功労で昭和55年に藍綬褒章、平成3年に勲四等瑞宝章を受章した。
 旧制赤穂中・初代校長の武川寿輔氏が常々口にしたという「やれば出来る、我に力あり」を座右の銘とした。数年前に胃の全摘手術を受けた後も定期的に市庁舎を訪ねては後輩議員や職員を叱咤激励したという。ある市幹部は「現役時代はまさに市政の重鎮。老いてなお、かくしゃくとした風格があった」と生前を偲んだ。
 剣道5段、書道8段、吟道7段と特技も多彩だった植木さん。5年前に記した自伝は波乱万丈の生涯を振り返り、「わが人生に悔いなし」の言葉で締めくくられていた。最期まで前向きな生き方を貫き、天国へと飛び立った。


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掲載紙面(PDF):

2010年9月4日(1910号)4面 (10,110,203byte)


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