赤穂民報

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恩師と目指す完全燃焼 再起懸けるスイマー

2024年04月13日

 ジュニア時代に全国優勝しながらスランプに陥り、一度は引退も考えた宮城県出身の競泳選手が、かつての恩師の下で再起を図ろうと赤穂に移住した。赤穂を拠点に競技生活の締めくくりを懸ける。


恩師の松田博明さんのコーチで再起を目指し赤穂に移住した青塚美澪さん

恩師の松田博明さんのコーチで再起を目指し赤穂に移住した青塚美澪さん


 青塚美澪さんは競泳強豪校の新潟医療福祉大学を3月に卒業した22歳。小学6年のとき、全国JOCジュニアオリンピックカップ100メートル自由形で優勝した逸材で、当時は兵庫県三田市内の名門スイミングクラブに在籍し、アトランタとアテネの五輪2大会で競泳日本代表コーチを務めた松田博明さん(66)=坂越=の指導を受けていた。

 さらなる活躍が期待された青塚さんだったが、中1の冬に松田さんが北海道の系列クラブに異動した後はタイムが伸び悩んだ。高校、大学では全国大会の決勝に残ることはなく、競技生活にピリオドを打つことも頭をよぎった。そんな中、松田さんが2022年から赤穂市民総合体育館プールでコーチをしていることを人づてに聞き、「もう一度、松田コーチの指導を受けたい」と直談判。「ちゃんと大学を卒業すれば」との条件でOKをもらった。

 初めて松田さんの指導を受けたのは小1のとき。当時所属していた仙台市内のクラブで、普段は他のクラスを担当している松田さんがたまたま青塚さんのクラスを臨時で受け持った。「その日の練習がとても楽しくて楽しくて」水泳が大好きになった。仙台から三田へ転籍したのも松田さんの指導を受けるためだ。

 「練習は厳しいけれど、マンツーマンでしっかり向き合って指導してくれる。このコーチについてだめだったら仕方がない、と思える。それくらい信用しています」と青塚さん。松田さんは「もう一度教えてほしいと言われたときは受けるべきかどうか迷ったが、決意がわかったので引き受けた。彼女が水泳人生をまっとうできるように、僕が"おくりびと,,になろうと」

 青塚さんは同じく競泳選手で大学2年の弟・美賀琉さん(20)とともに昨年12月下旬に赤穂へ。市民総合体育館のスタッフとして勤務しながら、姉弟で松田さんのコーチを受けている。移住後初めて出場した2月4日の赤穂市室内水泳(短水路)では専門種目の100メートル背泳ぎで大会記録を4秒近く更新する1分1秒36(日本選手権の参加標準記録は1分0秒25)で泳ぎ、早くも復調の兆しをみせた。

 「日本選手権入賞」を目標に掲げる青塚さんに、松田さんは「やるからには日本代表を目指してほしい」と発破をかける。青塚さんは「今はとても泳ぐことが楽しく充実しています。たくさんの方々を巻き込んでお世話になっているので恩返ししたい。『自分に勝つ』をテーマに頑張る」と完全燃焼を誓った。


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掲載紙面(PDF):

2024年4月13日号(2548号)1面 (5,823,058byte)


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