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西浜塩田の一級資料を市が受贈

2018年05月19日

  • 赤穂市へ寄贈された「赤穂西浜塩田関係資料」

    赤穂市へ寄贈された「赤穂西浜塩田関係資料」

 昭和20年代から40年代にかけての製塩施設の設計図面や写真など4800点以上に及ぶ「赤穂西浜塩田関係資料」が、所蔵していた日本海水から赤穂市へ寄贈された。
 入浜式から流下式を経てイオン交換膜法へと製塩方法が転換していった時期に当たる資料群で、資料を調査した市教委は「西浜塩田の技術的発展を如実に示す史料として非常に重要」と話している。
 資料は、歴史文化基本構想の策定に伴う塩業史調査の中、赤穂西浜塩業組合の流れをくむ日本海水の赤穂工場で見つかった。図面、写真(ネガ含む)、地図など総数は4877点に上り、昨年12月に市へ寄贈された。
 流下式塩田の着工2年前に作図された枝条架や流下盤の計画図(昭和27年9月)、枝条架が規格化した段階の標準図(同32年)、組合から「赤穂海水工業」へと体制が変わった後の生産工程図(同36年)など、図面からは製塩技術の改良過程がうかがえる。写真はネガシート112枚とプリント901枚があり、流下式塩田整備工事が始まった以降の様子を鮮明に記録。2000点を超える帳簿や伝票などの書類も見つかり、今後も継続して整理を進めるという。
 赤穂城の西側に位置した西浜塩田は池田時代から整備が進み、森時代に大規模干拓が行われた。浅野時代に城の東側で整備された東浜塩田と合わせて一大生産地に発展した。東浜塩田の資料としては、すでに市が所蔵する「赤穂東浜信用購買利用組合文書」(市指定有形文化財)があるが、西浜塩田に関する資料がまとまって見つかったのは「今回が初めて」(市教委)という。
 調査を担当した市教委文化財係の荒木幸治係長(41)は「西浜塩田の技術的な移り変わりが明らかになり、東浜との比較も可能になる」と話す。塩業が近代化していく時代の資料が残っていることは珍しいといい、「赤穂のみならず瀬戸内塩業全体の歴史を研究する上で不可欠な資料」と価値を強調している。
 市教委は5月30日(水)から市立有年考古館で開催する企画展「新発見速報展2018」で資料の一部を展示する。


文化・歴史 ]

掲載紙面(PDF):

2018年5月19日(2278号)1面 (4,422,374byte)


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コメント

どうも赤穂市の博物館の企画や展示がバラバラなように思います。最近、市は御崎から「塩回廊」を観光などの軸するやに聞きます。歴史博物館は元々、メイン展示が製塩などの歴史資料で、それを開発・発展させた歴代城主など紹介と赤穂上水道の博物館としてスタートしたようですが、いつの間にか「忠臣蔵」の浮世絵博物館化して、塩の街を象徴するもではなくなった感じですし、昭和の生活資料が多い赤穂民俗資料館の倉庫には、現在公開されてはいませんが、塩田で使われていた大小さまざまな道具が、また、館内には専売公社時代に務めていた方の事務用具なども保管されています。
海洋科学館は、地球自然の展示館のようですが、その傍には流下式や入浜式製塩の復元施設である「塩の国」が存在していますね。
管理、管轄が市教委と文化とみどり財団に分かれているためなのでしょうか。有年に文化的な光を注ぐ意図があるのでしょうか。松岡先生が力を入れられた有年にしかない考古資料の博物館も、集客目当てと思える企画が目立ちます。
市内に幾つもある博物館は、やはりもっと特化すべきではないでしょうか。

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投稿:有年考古館で塩業資料ってどうなのよ 2018年05月19日


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