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有年中校歌レコード原板を寄贈

2017年04月22日

  • 有年中校歌作詞者の池本一一氏が遺したレコード原板を寄贈する長男芳文さん(右)

    有年中校歌作詞者の池本一一氏が遺したレコード原板を寄贈する長男芳文さん(右)

  • 収録に使われたSPレコード製造機と和田安弘さん(右)

    収録に使われたSPレコード製造機と和田安弘さん(右)

 有年中学校の校歌を作詞した池本一一(かずいち)氏(1919−93)の自宅から校歌のレコード原板が発見。長男の芳文さん(67)=有年楢原=が学校へこのほど寄贈した。
 昭和36年に収録されたものとみられ、今でも再生可能という。同校は「有年中の伝統を示す貴重な資料。末永く大切にしたい」と額装して正面玄関に展示している。
 沿革などによると、校歌は学校創立から4年後の昭和26年に歌詞を公募して制定。卒業生でもある池本氏の応募作が採用され、当時上郡高校で音楽を指導していた澤巖夫教諭が作曲した。「翠に映ゆる 四方の峯」で始まり、「千種の流れ」「大鷹山」といった郷土の情景も盛り込んだ歌詞で、その年の11月6日、講堂落成式に合わせて発表された。
 池本氏は有年小学校の校歌も作詞。芳文さんの話では、播磨造船所(現石川島播磨重工業相生工場)に勤めるかたわら短歌や俳句をたしなみ、詩作も趣味としていたという。遺品の中から見つかったガリ版刷りの資料には有年中校歌の「作詞の意図」として、「すがすがしく、いきいきとした感じを出したい」「若あゆのような元気さで強く正しく生きぬいてほしい」「豊かにみのる農村(ふるさと)で心ゆたかな人間に育ってほしい」などと思いが綴られていた。
 レコード原板は、亡父の遺品を整理していた芳文さんが見つけた。アルミ製の直径25センチで、もう一方の面には播磨造船所の徒弟学校出身者の親睦団体「くろがね会」の会歌を収録。油紙で包んだ状態でメモと説明書と一緒に保管されていたという。
 メモは池本氏の自筆で、「昭和36年、有年中学校々歌と旧ハリマ造船所のくろがね会の歌とを伴せてレコードに吹込まれたもの」「唄は双葉中学校の松井つや先生に御依頼いたしました」「音楽はハリマ音楽研究会、指揮は森田茂夫」などと記述。相生市教委の記録で、昭和35年度に双葉中に転入した教諭に「松井ツヤ」という氏名が確認できた。
 説明書には「和田電波精密工業社」と社名表記があり、相生市大島町の家電販売「和田電波」の前社名だとわかった。現会長の和田安弘さん(76)によると、昭和25年に創業した父・猛さん(1915−71)が持ち運び可能なSPレコード製造機を自作。マイクから入力した音の振動を針に伝えてアルミ円盤に溝を刻む仕組みで、顧客の声を録音して喜ばれていたという。猛さんも播磨造船所に勤務していたことがあり、池本氏と面識があった可能性が高い。製造機は老朽化で使えなくなっているものの、同社の倉庫に現在も保管されていた。
 池本氏は講堂落成式で校歌が披露されたときの感想を「健やかな児等の唱声わが胸に迫りくる時涙あふるる」と詠んでいる。有年中が創立70周年を迎えた今年は池本氏の25回忌にもあたり、芳文さんは「父は母校や校歌への強い思い入れからレコードを作ったのではないかと思います。節目の年に見つかり、不思議な縁を感じます」と語る。大田俊也校長は「校歌に込められた思いを生徒たちにも伝えたい。しっかり受け止め、地域への誇りを感じながら歌ってほしい」と話している。


文化・歴史 ]

掲載紙面(PDF):

2017年4月22日(2228号)1面 (12,737,331byte)


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