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赤高ナイン熱戦譜(8)肉親には見せられない練習

 2014年10月11日 
過酷なスパルタ練習で選手らを鍛え上げた浦本和昭コーチ=長男・慶啓さん提供
 選手たちが「地獄だった」と振り返る冬季練習。OBの一人が「(選手たちの)肉親には見せられない」ともらしたほどだった。
 高尾「とにかく走らされた。あれは野球部の練習ちゃう。陸上部の練習や」
 それもそのはず、冬季練習のメニューを組んだのは、赤穂高校定時制の社会科教諭で陸上部顧問の浦本和昭だった。
 昭和26年の日本インカレ男子400メートルリレーで関学大が優勝したときのアンカーで、日本代表にも選ばれたほどの豪脚。はっきりしたことはわからないが、監督の黒田が大学の2学年後輩というよしみで畑違いの野球に首を突っ込んだと思われる。
 練習の厳しさでは黒田も相当なものだったが、浦本のスパルタぶりはそれに輪をかけていた。選手が倒れるまでダッシュやウサギ跳びを繰り返し、遅れた選手があれば青竹を手に追いかけ、疲れて倒れた者には容赦なくバケツの水をぶっかけた。
 仰向けに寝転んだ体勢でかかとを上げ続ける腹筋トレーニングは長いときは15分間。「先端に馬か牛の糞を付けた青竹を手に持っとってね。『足降ろした奴は口に突っ込むぞ』って。そら、親には見せられませんわ」(高尾)
 いつもバイクにまたがってグラウンドに現れるため、「パタパタパタ」というエンジン音に選手らは震え上がったという。
 浦本は試合には必ず球場に駆けつけ、図太い声で選手らを鼓舞した。それは転勤で赤高を去った後も続いた。真殿に実家があった浦本にとって赤高は愛着があったのだろう。高尾は「厳しかったけど、情に厚い人やった」と偲ぶ。
 ともかく、過酷な冬季練習を耐え抜いた選手たちは「スタミナと、少々のことではへこたれないど根性」(木村)を植え付けられたのだった。
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掲載紙面(PDF):
2014年10月11日(2107号) 3面 (11,090,764byte)
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