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児島高徳卿の遺徳偲ぶ遥拝所再建

 2008年05月03日 
創建当時の遥拝所=春野さん提供=
 坂越・妙見寺山内の船岡園に墓所がある南朝の忠臣、児島高徳の遺徳を偲ぶために大正時代に作られた「遥拝所」がこのほど再建。5月11日(日)の墓前祭で披露される。
 高徳は鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武士で、生涯かけて後醍醐天皇に忠勤を尽くした。武勇忠節の逸話を数々残したことから学校教育の教材としても使われ、大正初期には文部省唱歌にも採用。明治36年に政府から「従三位」が贈られ、戦前生まれの世代には国民的英雄として名高い。
 妙見寺の伊藤昶淳住職(83)の調査研究によると、高徳は正平16年(1361)から同寺に4年間仮住まいし、20年5月13日に亡くなった。7層の石塔が立つ墳丘墓は「臣下の墓として最も格式の高い様式」だという。
 地元では、明治40年に奥藤謹治氏を会長として「児島贈従三位旧跡保存会」が発足したのを皮切りに、住民有志らが高徳の遺徳を顕彰。大正3年には墓所周辺約3000坪を開拓し、「船岡園」を開いた。その後も名称を変えながら会が引き継がれ、現在は「児島高徳卿顕彰会」が毎年5月に墓前祭を行っている。
 船岡園開設と同時に設けられた遥拝所は墓所の北東約80メートルの見晴らしのよい場所にある。神木のサカキを前にして拝石の上に立った方角の彼方に後醍醐天皇を奉祀する奈良・吉野神宮が望めるという。同神宮の摂社に高徳を祭神とする船岡神社があり、園の名称もここからつけられた。同神宮に神社名が「船岡」になった由来を尋ねたが、「吉野神宮誌に由来は記載されていない」とのことで定かではない。
 かつては、命日祭になると大勢の人が拝礼に訪れたが、時代の移り変わりとともに次第に存在感が薄れ、最近は顕彰会のメンバーが足を運ぶのみに。昨年、前身の保存会発足から満100年を迎えた顕彰会が「誇るべき郷土の財産を後世に伝えたい」と遥拝所再建を計画。世話人代表の春野輝雄さん(76)=坂越=と会員で元小学校長の若松繁之さん(81)=同=が中心となって今年1月から工事し、地面に埋もれていた拝石を掘り出して石柱2本と囲い、説明板を整備した。
 11日は午前11時から墓所で法要を行ってから遥拝所へ移動。
 子どものころ親に連れられて遥拝所で拝んだ記憶がある若松さんは「昔の人たちが守ってきた伝統を大切にしたい」と語り、春野さんは「赤穂は大石内蔵助が有名だが、児島高徳についてもその存在を見直してもらえれば」と参列を呼びかけている。
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掲載紙面(PDF):
2008年5月3日(1793号) 1面 (3,903,587byte)
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