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関福大リレーコラム・「教育のパラドクス」を考える

 2019年10月05日 
 親は、我が子の教育について「どうすれば、かしこい子に育つだろうか? 勉強が好きな子になるだろうか?…」と考えます。
 巷には、そのような思いをもつ親のための教育の方法が書かれた情報が溢れています。教育熱心な親であれば、熱心に情報を集め、いいと思った方法を試し、「このやり方はウチの子には合わない」と判かれば別の方法を、それもダメなら次のやり方をと、試行錯誤を繰り返すかもしれません。
 それは、親が我が子を大切に思い、将来に期待すればこその愛情に満ちた当然の行為です。いや、親だけでなく、教師も「どう指導すればよいか?」と考え続け、よりよい方法を模索し続けているはずです。「教育愛」をもつ者ならば、必然的にこのような問い(=「方法的問い」)をするものです。
 しかし、少し考えてみれば気づきますが、「方法的問い」が意味をもつためには、「よい子」とはどんな子か?  「勉強好き」とはどういうことか? など、その方法の目指す目的(=あるべき子どもの姿)を問い、その答えがはっきりしていなければなりません。
 ところが、このあるべき姿を明確にすることが難しいのです。なぜなら、あるべき姿は、それを問う人の子ども観・人間観、人生観、社会観などにかかわりますから、一人ひとり異なるでしょうし、他の人から何か言われれば、そうかな?と揺れ動きもします。
 つまり私たちは、不明確で不安定な子どものあるべき姿をイメージしたまま、言い換えると「教育とは何か?」という答えがないまま、教育しなければならない状態にあるのです。
 これを教育学では「教育のパラドクス(矛盾)」と呼びますが、真剣に考えて誠実に教育を行おうとするほど、「これでいいのか?」と悩むのは、このパラドクスがあるからなのでしょう。
 しかし、ヒトが人間として生きていくために、教育が必要であることは確かです。私たちは「教育のパラドクス」を自覚しつつ、絶えず教育の目的を問い続けながら、子どもたちをより善くする方法を考え続け、教育を行わなければならないのです。(秋川陽一・教育学部児童教育学科教授)
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掲載紙面(PDF):
2019年10月5日号(2342号) 4面 (7,984,206byte)
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