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【語り継ぐ戦争】兄が荷物に忍ばせた部隊編成表

 2016年05月28日 
兄・彊さんが戦地から送った部隊編成表を見る内田富士夫さん
◆内田富士夫さん(85)=上仮屋南=
 昭和18年10月30日、出征中の兄・彊(つとむ)から両親宛ての手紙が届きました。
 手紙には「日々何とも云へぬさっぱりとした気持です」とあり、行李とトランクを1個ずつと貯金通帳、自分の写真を実家に送った旨が書いてあります。また、日赤救護班の一員としてインドネシアのスマトラ島へ派遣されていた妹について、「恵美子は早く家に帰るよう手續する方が良いと思ひます」と気遣い、「奥野君、榊君、上崎君皆元気、カリヤの大谷君も中々元気です」と同郷の戦友の消息を伝えています。
 その数日後、兄の荷物が届きました。トランクの中の物品を整理していると、5枚の便せんが見つかりました。それは陸軍中尉の兄が隊長を務めていた歩兵第八十一連隊(通称・月第7386部隊)第一大隊行李隊の編成表でした。父は「軍の機密情報やないか!」と大変驚いておりました。
 兄は編成表を荷物に忍ばせることで、自分が隊長として南方戦線へ向かうことを家族に伝えたかったのでしょう。父はそれを目にし、「いよいよ南へ行くんだな」と息子の死を覚悟したようでした。
 兄の戦死を知らせる公電は、その年が暮れようとしていた12月29日付けで届けられました。公電には「昭和十八年十月二十二日台湾県北方五〇〇粁(キロメートル)北緯二六度四五分東経一二五度ニ於テ潜水艦ノ攻撃ヲ受ケ戦死セラル」と記されてありました。
 あの手紙を私たち家族が読んだとき、すでに兄は、この世を去っていたのです。手紙と編成表は兄の「遺書」だったのだと思いました。
 * * *
 内田さんによると、彊さんは昭和13年に彦根高商を卒業して塩野義製薬へ入社。翌年に召集により姫路歩兵第三十九連隊へ入営した。15年に幹部候補生として中支へ派遣。八十一連隊、蘇州特務機関を経て南方転進作戦の立案に関わる江蘇省連絡部へ転任した。部隊編成全体を知る立場にあった彊さんは、かつての部下たちが南方へ転進することを知り、自ら原隊復帰を志願。内田さんは「戦友と生死をともにする覚悟だったのでしょう」と亡き兄の気持ちを推察する。
 彊さんを乗せた粟田丸は南方へ向かう途上でアメリカの潜水艦に撃沈された。25歳だった。
 * * *
 赤穂民報では、戦後70年の節目だった昨年に続き、戦争の悲惨さと平和の尊さを見つめ直すため、読者のみなさまから当時の写真や資料、手紙などを募集して紙面で紹介してまいります。ご提供をお待ちしております。
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 ▽メール=e-mail@ako-minpo.jp
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掲載紙面(PDF):
2016年5月28日(2186号) 3面 (11,456,690byte)
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