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戦後七十年・語り継ぐ(5)〜下書きに見る父の辛苦

 2015年08月07日 
仏壇から見つかった手紙を見ながら父と兄の思い出を語る山崎久美さん
◆山崎久美さん(83)=正保橋町
 長兄・米田利雄は昭和20年3月31日、出征先の中国・湖南地方でマラリアに罹って亡くなりました。24歳でした。
 兄の死について、父の和市郎が話すことはほとんどなかったように思いますが、息子の死を知らせる上官からの軍事郵便を夜ごと取り出しては読み返し、毎晩のように泣いていた姿をよく覚えております。その手紙が2年前、実家の仏壇の引き出しから見つかりました。
 手紙は2通あり、一通は部隊長さん、もう一通は直属の中隊長さんからで、どちらも「検閲済」の判が押してあります。何度も中身を出し入れしたからでしょう。封筒の縁はすり切れておりました。兄が配属されてから亡くなるまでの経緯を詳しくまとめてくださった長文を目にするうち、当時の記憶がよみがえってまいりました。
 兄は旧制赤穂中学を昭和13年に卒業し、幹部候補生として陸軍に入隊しました。家の前に近所のみなさんが集まって、万歳を繰り返して。父はお酒を振る舞ってね。母の姿が見えないと思ったら、裏口で泣いていました。それが親の本心でしょう。
 駐在所の前でも出征式がありまして、みんな日の丸の小旗を持って、「バンザイ、バンザイ」言いながら元禄橋まで一緒に歩いて見送るんです。朝、学校に行くとき、駐在所の前に式で使う机が出とったら、「ああ、またきょうも誰かが戦地に行くんやな」と見ておりました。
 上官の手紙が仏壇から見つかったとき、中隊長さんへの返信の下書きが一緒に出てまいりました。
 便せん5枚に父がつづった文面の中に、「手柄もたてずに散りにし我が子、床の上で他界致した事、さぞかし利雄も残念であっただらうと思ひます」とのくだりがありました。軍国主義の当時は、敵と闘って命を落とした「戦死」は称えられても、病気で亡くなった「戦病死」は世間様に申し訳ないという雰囲気があったんやと思います。
 出征を見送ったとき、上官からの手紙を受け取ったとき、夜ごと読み返しては泣いていたとき、中隊長さんへの返信をしたためたとき。そのときどきの父の辛苦を思うと、胸が張り裂けそうになります。
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掲載紙面(PDF):
2015年8月8日・第2部(2148号) 1面 (6,481,900byte)
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